アダルトは悪か


一頃、インターネットといえば多くの人がアダルト・コンテンツを連想していた時期があった。 或る男性が自分のガールフレンドに向かって、「オレ、インターネット始めたんだ」と言ったら、 「やだー、エッチ!」と返答されたという笑い話がある。 WWWやネットニュースの alt.binaries などには そうしたコンテンツが山ほどあって、若い男性(中年も?)ならその種のサイトに一度はアクセスした経験のある人が 多いのではないだろうか。

実際にはアダルト・コンテンツはインターネットの提供する情報のごく一部分に過ぎないのだが、 そのような連想が生まれた背景には、インターネットというメディアの特殊性がある。 電話をかければ公的機関にも個人の家にも外国にも繋がるように、 インターネットではどんな種類の情報にもアクセスできる。テレビや出版物のように上からの監視下に置かれたメディアにはない 自由さがインターネットにはあった。(あった、と言うのは、今後もそうあり続ける保証はない、という意味だ。)

最近は有料のところが増えてきたが、当初のアダルト・サイトは同じような趣味を持つ人同志の間で、 ボランティア的に情報提供するフリー・コンテンツだったと言われている。アダルトであると否とを問わず、 インターネットはそうした考えの人々によって育てられてきた。インターネットがここまでポピュラーになったのも、 そして見方によってはパソコンがここまで普及したのも、アダルト・コンテンツが一役買っていることは 否定できないように思われる。

しかしユーザの数が急激に増え、インターネットが市民権を得るようになった昨今、 インターネットも上からの監視下に置かれる可能性が出てきた。 ユーザが増えればインターネットは「商売に使える」。多くの企業が参入し、商品広告的な情報が増えつつある。 インターネット自体が変質し、有志による自由な情報発信の場から、 「公共メディア」という名のテレビ的な媒体へと姿を変えて行こうとする。そのうち、「あなたがホームページを持つためには、 ○×商事へのリンクバナーを貼り付けなければなりません」なんて要求される日が来るかも知れない(笑)。

それは冗談としても、インターネットを「公共メディア」として捉えようとする風潮が出てきたことは確かだ。 結論から言えば、これは少々筋違いに思われる。ネット・サイトの一部を公共メディアとして用いることはできるが、 インターネットが全体として公共メディアなのではない。テレビのようにスイッチを入れ、 チャンネルを変えるだけで求めもしない情報までもが入ってくるメディアとは原理的に異なる。 インターネットには誰もがアクセスできるとは言っても、サイトのURLを入力するか、 リンクを辿らなければならないと言う点で、情報を選択するという有意性が伴う。まして会員制サイトのように、 パスワードでユーザを限定すれば誰もが不用意にアクセスするというわけには行かない。 企業イントラネットはインターネットの原理を応用しながらも、ファイアーウォールや暗号システムを導入することにより、 外(インターネット)に向けては開かれているが外からは閉ざされた情報メディアとなる。

にもかかわらず、最近の人はインターネットをテレビのような公共メディアと考えようとする。 (インターネットが見られるテレビも出てきたことだし。)そして公共メディアでは、 アダルト・コンテンツのような「きわもの」は邪魔なのだ。実際に昨年あたりから、 アダルト・コンテンツのような「有害情報」を規制しようとする動きが出てきている。 一部自治体では、プロバイダーに圧力をかけてアダルト情報などの自主規制を要請したし、 プロバイダー業界もこうした問題に関するガイドラインをまとめて利用者の意見を募るなど、 自主規制に乗り出している。プロバイダーとて一企業であり、ユーザのホームページはサーバ上のスペースを間貸ししているに過ぎないので、 企業に不利益をもたらすようなコンテンツに「立ち退き」を求めるのは当然の権利ではある。 しかしことアダルト情報に関しては、ガイドラインの内容が例によって曖昧で、これでは少しでもアダルト色のあるコンテンツは遠慮してもらった方が無難、 ということになりかねない。それに、ホームページ上で犯罪を唆したり、他人の個人情報を流す、 というような本来の意味での犯罪と、「教育上好ましくない」ものとを「有害情報」の名で一緒くたにする風潮も問題だ。

それではアダルト・コンテンツは犯罪になるのだろうか?実際に、この問題を象徴するような事件が昨(1997)年4月に起きた。 FLMASK という、日本のアダルト・サイトではよく知られた画像ソフトの開発者が、このソフトを用いたアダルト・サイトの運営者共々逮捕された。 FLMASK とは、コンピュータ上の画像の一部または全部にモザイクをかけるソフトで、通常のモザイクと異なり、 同じソフトを用いてモザイクをきれいに消去することができる。そのためアダルト画像の加工・修正に適していると考えられるが、 それが FLMASK の主目的というわけではないし、このソフトの使用法のどこにもアダルト画像用とかモザイクが消せるなどとは書かれていない。 FLMASK の開発者が逮捕された直接の理由は、自分のホームページ上で FLMASK が使えるアダルト・サイトにリンクしたこと、 そしてこのサイトが FLMASK を使ったモザイクのはずし方を説明したことにあるとされている。 しかし実際は、モザイクをはずせるソフトという言葉を青天の霹靂と感じた警察が、 単にこのソフトを用いたアダルト画像をホームページ上で流したサイト管理者だけでなく、 ソフトの開発者をも逮捕することで、 FLMASK そのものを根絶やしにしてしまおうと考えたのが本当のところだろう。 (後記 : この記事を書いた当時存在した FLMASK 事件関連サイトの多くはその後消滅し、 現在は主に FLMASK 裁判公判を扱ったサイトが参考になるようです。興味のある人は検索エンジンで「FLMASK事件」を探してみて下さい。)

インターネットといえども国内法の支配下にある。たとえ外国のアダルトサイトで無修正画像が許されたとしても、 日本人の作ったホームページは日本の法律に従わなければならない。そうした日本の実状にあわせ、公開の場 (サイト上)ではアダルト画像に一定の修正を加えるという方法に FLMASK のような画像ソフトは応えうるものだった。 そうした方法の合法性や有効性について、当局は有識者やインターネット・ユーザーの意見を広く聞いた上で行動を起こすべきだった。 しかし実際には、モザイクをはずせるソフトについて市民から通報があった、それ手入れだ、検挙だ、という仕方で動いたようだ。 おそらくこの事件を担当した警察官はコンピュータ犯罪についての知識を持つ人ではなく、本やビデオを含めた風俗取り締まり分野の担当者だったのだろう。 コンピュータ上のソフトとは何か、インターネットという新しいメディアとは何かについての不勉強が目に付く。

FLMASK の開発者は告発され、裁判は現在も係争中だ。ごく最近(1998年1月初め)、 FLMASK の著作権は開発者からアメリカのソフト会社の求めに応じて譲渡された。解禁国アメリカでもアダルト・サイトへの未成年者のアクセスは問題となっており、 FLMASK のような画像ソフトのユニークさが評価されたのだ。この辺の対応が日本とは対照的に見える。やれ規制緩和だ、情報ビッグ・バンだと声高に叫ばれながら、 ことアダルト・コンテンツに関しては、既成制度を新しい時代の要求にあわせて変えていくのではなく、 メディアのもたらす新しい道筋を既得権益に固守する一部の人々の利益のためにつぶしていこうとするのが日本のやり方だ。 その主導権を握っているのがコンピュータのソフトやネットワークについて無知な人々ばかりだとすれば、うべなるかなである。 仮に当該マスク・ツールを用いた方法が非合法化されたとして、外国のアダルト・サイトへの接続はどうなるのか? 全体主義の国で行われているように、日本も外国サイトへのアクセスを制限するしかないのではないか。

アダルト・サイトについて懸念する一般ユーザの声に「子供が見るから」というのがある。これは正論だ。 だがなぜか日本では、それがアダルト・コンテンツ全体の規制・禁止という方向に転化されている。 インターネットに限らず、出版物でも、展覧会でも、一般の人々が目にし得る場での或る種の性表現は「見ちゃいけない」のだ。 仮に彼等が責任意識ある成人で、かつ自発的な行動であってもだ。 これは日本の法律が、 国民一般を大人として認めていないことを意味する。つまり日本の大人は、欧米諸国の未成年レベルの扱いなのだ。

もとより日本の刑法175条は猥褻に関する定義が曖昧(抽象的)で、取り締まる側のハラ一つでどんなものでも検挙の対象になり得る危険性を孕んでいる。 そもそも戦前の出版法規の流れを汲むこの法律には論理的に首尾一貫していないところがあるが、 欧米などでは合法なものが、なぜ日本で非合法なのかという疑問に対して司法当局は、常に「日本の国情」論を持ち出して逃げてきた。 国情、つまり因習や風俗には非論理的なところがある。「猥褻な表現・図画」に対する現行の倫理観は、 実は明治維新期に日本が西洋の(その当時の)エリザベス朝的道徳を導入したものだ。本家本元の欧米諸国ではとっくの昔に時代遅れになってしまったこの因習を、 今の一部日本人が日本古来の美風と信じ込んでいるのは笑止ですらある。日本人は、原理とか論理とかを確立して根本的に思考することが苦手な民族と言われる。 だが係争中の FLMASK 裁判を契機に、私たちは法律の中味を根本的に考え直す時期に来ているのではないか。

これを読んでいる人の中には、「興味がない」、「アダルトなんて嫌い」という人もいるだろう。 しかしこのケースの中核には、単にアダルト是か非かを越えてインターネットの表現内容に対する上からの規制が認められるかどうかの問題が絡んでいるので、 インターネット・ユーザのあなたが「興味がない」では済まされない。また「アダルト・サイトなんてなくなった方がスッキリする」という人も、 特に女性を中心に多いと思うが、それは多分に好みの問題だ。個人の好みで言えば、無内容で我慢のならないホームページはネット上に山ほどある。 しかしそれで良いのだ。他人の権利を侵害するなどの行為がない限り、インターネットの中味は基本的に自由であるべきなのだから。 もし「ホームページかくあるべし」という上からのお達し通りにインターネットが計画化・中央集権化されたら、 それはインターネットの死に等しい。

前に述べた「有害情報」規制の動きについて言うと、単に訴えがあった場合にのみ(あるいは問題が起きたときのみ)調査に乗り出すというのならまだしも、 実はそれだけではないらしい。一部では、ホームページ上のデータを(当初は文字ベースで)事前に検索し、 アダルト・コンテンツかどうかをふるいにかけるシステムを開発中であるという。言わば「投網を打つように」アダルト・サイトを調べ上げるというやり方であり、 こういうことがもし実施されれば、それは事実上、ホームページ検閲へのGOサインを意味する。

FREE SPEECH ONLINE
FREE SPEECH ONLINE(英語)
[1998/ 1/14]



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